木球元日本代表が2020オリンピックについて2分考えてみた
この世で最高に不必要な専攻で卒業した私。
スポーツ社会学。
スポーツ社会学とはなんぞや、
スポーツを社会学の視点からぶった切る。
多分。
そんな最高に無意味且つ、なんのためになるのかわからんものを専攻して、卒論を書き上げた人間が2020TOKYOオリンピックについて言いたい。
イラネ、と。
なんだかんだじゃ、ないんだ。
もう、スポーツやってる人のための大会は2000年以降はありませんの。
残念。
サッカーのワールドカップもそうだけど、「金儲けのためのスポーツ大会は誰のために行われるのか。」
卒論はそういう話を書いた。
2000年以降、
「お前らのためだろぉぉが!」
スポーツ大会はこんな感じ。
スポーツを純粋に楽しんだのは1990年代まで、放映権利でスポーツを楽しむことはどんどん難しくなった。
結局金。
でも、こんなこというとこう言われるんだ。
「金でもいいじゃん!スポーツの最高峰が見れるんだから!文句ばっかり言うな!」
物分かりがいいことが上位に位置すると思ってる「オトナ」が増えたと思う最近。
お金のためのスポーツがなぜダメか。
金が最上位になってあり方が決まるから。
こんなシラけることはない。
大会にとって金になるように決まっていくなんてシラける。
大会の大きい小さい、競技人口の大きい小さい関係なくスポーツは面白い。
盛り上がってるスポーツをオリンピックでやればいいと思ってるけど、
「金にならなきゃ意味ないよ」
これがシラけさせるんだ。
2020も復興とか言いながら、もう当て付けだし、オリンピックGoGo言ってる人も利害関係ある人だけっしょ。
ほとんど。
そんなクソみてーなコンテンツにどんだけ税金突っ込んでんだよって思うのだ。
税金はもっと慎重に使えよ。
ヒトトキのために税金使うなら、税金でファンザ見放題するのも大して変わりませんわね。
座って半畳、寝て一畳
天下を取っても二合半
なのだが、ゼネコン他を食わす為には金がかかりすぎる。
必要以上に金金の世の中はつまらーん。
オリンピックやる金で首都機能移転してくれ。
そっちの方が必要だ。