23万時間の大長考
困ったことに40になって、昔「歳とったらわかるよ」って言われてたことが少しずつわかってきた。
親父には40ぐらいから身体は一気に疲れるって言われてて、そんなことあるかよって思ってたけど、今は痛感する日々。
朝は早く目が覚めるっていうのも、この1年ぐらいでだいぶ分かってきた。
ダメな事ばかりわかるのか…と思っていたら、二十数年来の謎もようやく解けた。
「自分はどこにいるのか」
忘れもしない中学2年の時、勉強していた日曜日の昼下がり、「俺は今どこにいるんだ」と思った。
緯度経度の話ではなく、自分のなかの自分の場所がよくわからなくなっていた。
まさか、これがこれほど長く続くとは思ってもいなかった。
高校、大学、そして社会人時代。
日常は自分を上手く騙して(騙していたのか、騙されていたのか)やり過ごせても、ふとした時にハマってしまう「自分が今どこにいるのか」。
結婚しても子供が産まれても、ずっと続いていた、この違和感。
会社を辞めた辺りで、なんとなく解決しそうな雰囲気はあったが、それがこの一年ぐらいでようやく納得の解答に至ったのだ。会社を辞めて7年で、だ。
俺の手も足も、脳も、隅から隅まで、俺の支配下にあったんだ。
自分はそこにいたという確認に、ただただ時間を費やしていた。
学生時代も社会人時代も、自分とは違う何かの管理下にあって、自分は自分のものと理解していなかった。
慣れは怖いもので、会社を辞めてもしばらくはその感覚が続いていたが、それが何かの拍子にぶっ壊れた。
自分の行動も、自分の意思も、誰にも支配されることはなかったんだということ。
日々のルーティンは自分を何かの支配下に置き、「自分は常にニュートラルだ」ということを忘れさせる。
これは俺の言葉だ。
約26年間の問題は終わりを告げた。
四十にして惑わず
問題の解決は、また次の問題を生むはずだが、とりあえずこの大長考を終わらせたことを祝して一人乾杯したい。